1. 定義と概要
ジョン・マッカーシー(John McCarthy、1927年〜2011年)とは、アメリカの計算機科学者です。1955年には、ダートマス会議(1956年に開かれた、人工知能という分野の出発点とされる研究集会)の開催を提案する文書の中で「人工知能」という言葉を初めて使い、1956年に同会議を主催しました。
プリンストン大学やダートマス大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)を経て、1962年からスタンフォード大学教授を務め、同大学にAI研究所(スタンフォード人工知能研究所、SAIL)を設立しています。1958年にはプログラミング言語LISP(記号を扱うAI研究のために設計されたプログラミング言語)を設計し、1971年には人工知能分野への貢献によりチューリング賞(計算機科学の分野で最も権威があるとされる賞)を受賞しました。
1950年代、「機械は考えることができるか」という問いはすでに議論の対象になっていましたが、それを一つの研究分野として名付け、組織立てて研究する枠組みはまだ存在していませんでした。1955年、マッカーシーはマービン・ミンスキー(ダートマス会議を共同で提案した計算機科学者)らとともに研究提案書をまとめました。ミンスキーは知識表現(物事の知識をコンピュータが扱える形で表現する手法)やニューラルネットワーク(人間の脳の神経回路を模したモデルで、深層学習の基礎となる仕組み)の研究でも知られています。
ナサニエル・ロチェスター、クロード・シャノンも加わった4名で、この提案書をロックフェラー財団へ提出しました。この文書の中で、「人工知能」という言葉が初めて使われました。1956年に開かれたダートマス会議はこの4名が共同提案者となって開催され、ロジック・セオリスト(ダートマス会議で実演された、世界初のAIプログラムとされる定理証明プログラム)の実演でも知られています。この会議は、人工知能という学問分野の出発点です。
2. 試験対策ポイント
まず整理しておきたいのは、1956年のダートマス会議で「人工知能」という言葉を初めて用いた人物としてのマッカーシーの位置づけです。この言葉は1955年の研究提案書ですでに使われており、共同提案者はマービン・ミンスキー、ナサニエル・ロチェスター、クロード・シャノンの3名でした。会議の開催年・提唱者・言葉の初出という組み合わせが、試験対策の中心になります。
もう一つ重要なテーマとなるのが、1958年に設計し1960年に発表したプログラミング言語LISPの開発者としての位置づけです。LISPは長年、人工知能研究を記述する言語として用いられてきました。マッカーシーは1959年、ガベージコレクション(プログラムが使わなくなったメモリ領域を自動的に片付ける仕組み)という技法も発明しています。
1969年にはパトリック・ヘイズとの共著で、フレーム問題(ある行動によって何が変化し何が変化しないかをコンピュータがすべて記述しきれないという課題)を提唱しました。人工知能が現実世界の膨大な要素を扱う難しさを示す論点として、マッカーシーの業績と合わせて見ておきたいところです。
また1971年には、人工知能分野への貢献によりチューリング賞を受賞しています。1961年には、コンピュータの処理能力を複数の利用者で分け合うタイムシェアリングシステム(1台のコンピュータを複数の利用者が同時に使えるようにする仕組み)の構想も示しました。この構想は、後年のクラウドコンピューティングの概念的な先駆けとして位置づけられています。
3. 関連概念との比較・相違点
マッカーシーは、同時代の研究者や時代区分そのものと並べて語られるため、混同を避けるには比較の軸をそろえると見通しがよくなります。主な比較対象との対応を整理すると、次のとおりです。
| 比較対象 | その位置づけ | マッカーシーとの違い |
|---|---|---|
| マービン・ミンスキー | ダートマス会議の共同提案者 | 研究の中心はニューラルネットワークや知識表現 |
| 第1次人工知能ブーム | ダートマス会議を起点とする時代・現象 | 個人ではなく時代全体を指す概念 |
| アラン・チューリング | 「機械は考えることができるか」を提起した先駆者 | 問いを立てた側であり、分野名を与えたのがマッカーシー |
マービン・ミンスキーとは、ともにダートマス会議を共同提案した「創設者」という共通点がありますが、アプローチには違いがあります。ミンスキーはニューラルネットワークや知識表現(フレーム理論)の研究で知られる一方、マッカーシーは論理と記号処理、そしてLISPの開発で知られています。両者は会議を共同で提案した点から、混同されやすい存在です。
第1次人工知能ブームとの違いは、指す対象の範囲にあります。ブームはダートマス会議を起点とする時代・現象全体を指す概念であるのに対し、マッカーシーはその会議を主導し人工知能という名称を与えた個人です。ブーム全体の推移や限界は、マッカーシー個人の業績とは別の論点として扱われます。
アラン・チューリングとの最大の違いは、時代と貢献の性質にあります。チューリングは「機械は考えることができるか」という問いをコンピュータの黎明期に理論的に提起した先駆者である一方、マッカーシーはその問いに具体的な学問分野名を与え、研究組織として確立した人物です。問いを立てた人物と、その問いを学問として組織立てた人物という関係にあります。
4. ビジネス・実務での活用シナリオ
プログラミング言語・ソフトウェア開発の分野では、マッカーシーが設計したLISPが記号処理を扱う言語として、長く人工知能研究の中心で使われてきました。この設計思想は、後発の関数型プログラミング言語(計算を関数の組み合わせとして記述するプログラミング言語)の設計にも影響を与えています。
クラウドコンピューティングの分野では、マッカーシーが構想したタイムシェアリングシステムの発想が下敷きになっています。1台の計算資源を複数の利用者で分け合うという考え方は、利用量に応じて計算資源を使うサービス形態である現在のクラウドコンピューティングの概念的な先駆けにあたります。
知識表現・エキスパートシステムの分野では、マッカーシーが提起したフレーム問題が、人工知能が現実世界の膨大な要素をどこまで考慮すべきかという設計上の課題を明確にしました。この課題意識は、対象範囲を限定して知識を扱うエキスパートシステム(特定の分野の専門知識をルールとして蓄積し、専門家のように判断を下すコンピュータの仕組み)など、その後の知識表現手法の発展を後押ししたとされています。
5. 要点まとめ
- ジョン・マッカーシーは、1956年のダートマス会議で「人工知能」という言葉を初めて用いた計算機科学者で、共同提案者はマービン・ミンスキー、ナサニエル・ロチェスター、クロード・シャノンの3名です。
- 1958年に設計したプログラミング言語LISPの開発者であり、1969年にはパトリック・ヘイズとともにフレーム問題を提唱しました。
- 1971年にチューリング賞を受賞し、タイムシェアリングシステムの構想は後年のクラウドコンピューティングの概念的な先駆けとして位置づけられています。
6. 確認問題
問1ジョン・マッカーシーは、1956年のダートマス会議で「人工知能(Artificial Intelligence)」という言葉を初めて用いた計算機科学者である。
解答・解説をみる
○ 正しい
マッカーシーは1955年の会議提案書の中でこの言葉を使い、1956年のダートマス会議を主催しました。共同提案者はマービン・ミンスキー、ナサニエル・ロチェスター、クロード・シャノンの3名です。
問2ジョン・マッカーシーが開発したプログラミング言語はPythonであり、統計的な機械学習の記述に広く使われた。
解答・解説をみる
× 誤り
正しくは、マッカーシーが設計したのはLISP(1958年設計・1960年発表)です。LISPは記号処理を扱う言語として長年、人工知能研究で使われてきました。Pythonはマッカーシーとは別の人物によって後年に開発された言語であり、人物と言語の対応を取り違えやすい点です。
問3マッカーシーはパトリック・ヘイズとともに、ある行動によって何が変化し何が変化しないかをすべて記述しきれないという課題を指摘した「フレーム問題」を1969年に提唱した。
解答・解説をみる
○ 正しい
フレーム問題は、コンピュータが現実世界の膨大な要素をすべて考慮しきれないという人工知能の根本的な課題として位置づけられています。

